人生はブルース

ブルースを愛し、酒を愛し、女を愛する中年オヤジです。

Nobody Knows You When You're Down and Out

ブルースのスタンダードナンバーとして知られる「Nobody Knows You When You're Down and Out」

1929年にベッシースミスがレコーディングして以来、ブルースマンだけではなく、サムクック、オーティスレディング、ボビーウーマックなどのR&Bシンガー、ニーナシモンなどのJazzシンガー、エリッククラプトン、ロッドスチュワートなどのロックミュージシャンも好んで取り上げています。

 

エリッククラプトンのアンプラグドバージョンも捨てがたいのですが、
一番好きなのがサムクックのバージョン。

 

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テーマは「金の切れ目が縁の切れ目」。

まさにBluesです。

昔は贅沢な暮らしをしていたが、落ちぶれた今では誰も見向きもしない。

そんな状況を歌った名曲です。

 

憂歌団の日本語カバー「ドツボ節」が素晴らしい解釈をしているので、

イメージがよく伝わると思います。

 

 

憂歌団 ドツボ節

 

ちょいと皆さん聞いとくれ
俺も昔はエエ身分
ツレを引き連れ 北新地
繰り出しゼイタクし放題

やがて暮しは ガタガタ
寝るとこさえもない俺に
ツレは皆知らん顔
チキショウ あの銭ありゃあなあ
俺の言うことわかるだろ
明日のことはわからねェ
人間なんてこんなもの
銭の切れ目が縁の切れ目

銭のあるときはアンタにも
皆が友達ヅラして寄ってくる
この世は本当に銭次第
冷たいもんだ 嫌なもんだ
誰も構っちゃくれやしねェ
そうだろ ドツボにはまったら
きっときっとわかるぜ
いつまでもあると思うな親と金

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BluesとGuitar

ブルースマンと聞くとギターを弾いている姿を思い起こす人が多いと思う。

実際にほとんどのブルースマンは、ギターを弾きながら歌う。

ピアノを弾きながら、ブルースハープと一緒に、ボーカルだけ。

など、ごく一部にギターを弾かないブルースマンも存在するのだが。

 

これはブルースという音楽の起源と発展の歴史が大きく関係している。

 

17世紀から19世紀にかけて、アメリカでは奴隷制度があった。

主にアメリカ南部の大規模綿花畑での労働力として、

一説には1,200万人ものアフリカの黒人達がアメリカ大陸に品物のように運ばれた。

 

アフリカの言葉や風習、宗教なども禁じられた中、

黒人達は新しい宗教であるキリスト教と労働効率を高める為の

ワークソングやフィールドハラーの中に自分達のアイデンティティとして

音楽の芽を残していく。

 

少し話はそれるが、普段僕らがテレビやラジオ、街中で耳にしている音楽、

Rock、POP、JAZZなど当たり前に流れている音楽と

ベートーベンやショパンシューベルトなどのいわゆるクラシック音楽

同じ音楽でもその形式や表現、使用楽器などに大きな違いがある事は理解できると思う。

 

仮に現在主流の前者を「現代音楽」とし、「クラシック音楽」と区別して話したい。

 

クラシック音楽は、アメリカがまだ白人に見つかる前の

中世ヨーロッパにおける白人による白人のための音楽だった。

 

この時代の音楽は着飾った貴族達の娯楽だった。

もちろん大衆向けの音楽も存在していたのだろうが、

それらはほとんど現代まで伝わっておらず、

僕らが学校の音楽の授業で習った有名作曲家達の楽譜が多数残されており、

その楽譜を再現(演奏)したモノがいわゆるクラシック音楽である。

 

一方、現代音楽のルーツはというと、

アメリカに連れて行かれた黒人達が作り上げたBlluesにたどりつく。

 

本題に戻そう。

 

1865年、アメリカ南北戦争がおわり、北軍勝利を収める。

これによって奴隷制度は廃止される。

しかし、昨日まで奴隷だった者が「今日から君は自由だ」と言われたとしても

何をすればいいのだろうか。

奴隷ではなくなったとしても、アフリカに帰れるわけではない。

既にアメリカに連れてこられてから3代、4代となっている者がたくさんいる。

教育を受けているわけでも無く、資産があるわけでも無い。

結局、多くの黒人達は今までのご主人様の下で、小作人として働く道しか無かった。

 

奴隷時代と変わらない重労働を終え、ごくわずかな賃金で酒を飲みに行った。

ジュークジョイントと呼ばれる粗末な店で一時の魂の解放を求めた。

精一杯着飾った黒人達が安酒をあおり、音楽に合わせてダンスした。

 

ジュークジョイントのイメージ写真

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この音楽がBluesのそして現代音楽のルーツとなる。

 

当然ながら電気は存在していない。

今のように音響機材も無く、店での音楽と言えば生演奏である。

 

ジュークジョイントは、綿花農園の片隅に建てられた様な場所で、

狭く、薄暗かった。

 

おそらく最初の頃は、その農場で働く誰かが楽器を鳴らし

歌を歌っていたのだと思われる。

 

やがて腕のいいミュージシャンは、他の店からも声がかかるようになる。

噂は噂を呼び、隣の街、隣の州からも呼ばれるようになる。

人気が出て呼ばれる方も、農作業の片手間にやる必要がなくなり

音楽だけで生計がなるたってくる。

ミュージシャンの誕生である。

そうなるとよりギャラのいい場所、つまり都会へと移動し、

都会から都会へと旅をしながら演奏をするミュージシャンが出てくる。

 

ブルースマンにギタリストが多い理由に近づいてきた。

 

旅から旅へと移動することの多かったブルースマン達にとって、

ギターは持ち歩きが楽で、歌の伴奏(弾き語り)に適していた。

 

ピアノだとこうはいかない。

都会の酒場にはピアノが置いてある店もあったかもしれないが、

常にあるとは限らない。

 

ピアノを弾きながら歌うブルースマンの登場はもう少し後になってからだ。

さらに楽譜の読めない黒人達にとってもギターは便利な楽器だった。

楽譜を前提にしたクラシック音楽とは違い、

耳から耳へと受け継がれていったのがBluesだ。

 

 

そして南部の農業に従事していた黒人の中でも、

都会に出て一発当ててやろうという人たちが都会を目指していく。

 

多くはアメリカ大陸を縦断する大河、ミシシッピー川に沿って北上していった。

行き先は当時工業地帯としてはアメリカ最大の街シカゴ。

 

多くの黒人達がシカゴに移ると同時にブルースマン達も移り住むようになっていく。

 

ギター1本の弾き語りが主流だったBluesだが、

ギター、ベース、ドラム、キーボードなど、

今ではロックバンドの典型的な構成、バンドスタイルはこの街の酒場で生まれた。

 

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やがてバンドスタイルは、白人達の手によってRockを生み出し、現代音楽に繋がっていく。

Bluesが落ちてきた。

1976年、中学1年生の時にBeatlesと出会った。

当時、1ヶ月の小遣いが1,500円。

Beatlesのアルバム(LPレコード)は、1枚2,500円。

輸入盤や貸レコードなども無い時代、

自分で買うか、友達に借りるかしか

その音に触れることが出来なかった。

 

数年前、既に解散していたBeatles

ポールが率いるWingsはヒットを飛ばしていましたが、

中1では洋楽よりも圧倒的に邦楽が人気。

同級生達はキャンディーズやピンクレディ、山口百恵などに夢中。

 

 

2ヶ月に1枚のペースでBeatlesのレコードを買うことにする。

当時発売されていたBeatlesの公式アルバムは14枚。

 

途中、お年玉などの臨時収入もあったが

14枚全部を手に入れるまでは2年近くかかった。

1枚のアルバムを買うと、次の1枚を手に入れるまで、

毎日、毎日そのアルバムを聴き続ける。

まだ自分専用のオーディオも無く、

常にリビングに置いてあるステレオセットの前に陣取っていた。

(1年後ぐらいにラジカセを買ってもらい、自分の部屋で聞けるようになるが。)

 

それだけの集中力を他のことに使っていたら

その後の人生も大きく変わっていたのだろうと思うのだが

それはそれで価値のある時間を過ごしたとも思っている。

 

さてBluesが落ちてきた話。

 

BeatlesもBluesがバックボーンにあるのですが、

Beatlesを聴いてそのままBluesにとりつかれる事はあまりないだろう。

現に僕もBeatlesからそのままBluesへと流れていかなかった。

 

「Yar Blues」など、BeatlesにもBluesを前面に出した曲はあるが

 

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ひとつのきっかけの曲は「While My Guitar Gently Weeps」。

この曲でリードギターを弾いていたのがエリッククラプトン。

 

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少し後になってからその事を知り、

エリッククラプトンの音楽にも興味を持つようになっていく。

その時は高校生になっていたので、バイトもするようになり、

中学生時代よりも金銭的な余裕が出来ていた。

 

そして、エリッククラプトンからロバートジュニアロックウッド、

Tボーンウォーカー、マディウォーター、BBキングなどなど、

Bluesの巨人達へと興味は移っていく。

 

いつの間にか、僕の生活はBluesに満たされていった。

 

例えばマディウォーター。
初めて聴いたときは、「こんなギトギトした音、
とてもずっと聴いていられない」ぐらいに思っていた。

ところがある日、何気なくマディのCDをかけて本を読んでいたときに、

グィっと身体の中に入り込んできた。

本を読んでいたはずなのに、

耳が自然と音を追いかけていくような感じ。

 

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この瞬間、僕にBluesが下りてきました。

 

Bluesの世界、Bluesの生まれた世界、ブルースマン達の生き様、

それらには僕の生活と共にあり、人生の指標ともなっています。

 

そんなBlues好きのオヤジの戯言におつきあいください。